ネーミングは大切ですね。
赤ちゃんポストは引き続きウォッチしていきたいですね。
緑陰寸評:赤ちゃんポスト /熊本
「ポストだと物を扱う感じがしてかわいそうだ。優しい印象のこうのとりのゆりかごに統一してはどうか」
熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストを設置した時に、読者からこんな意見が寄せられた。議論した末に「原則として赤ちゃんポストと書く」と決めた。耳に心地よい言葉で表現するのは、捨て子を助長するようで適当でないとの判断からだ。
あれから1年・・・あれから1年。熊本市が3月末までの運用状況を公表した。預け入れ件数、性別、年齢、虐待の有無、健康状態、一緒に置かれていたもの、父母らとの接触や居住地など16項目である。
17人が預けられ、曜日別で最多は木曜日の7人。時間帯は午後6時から午前0時が多かったというデータもある。精いっぱいの公表だろうが、肝心なことが分からない。親とどう接触したのか。どんな生活環境なのか。一緒に置かれていた手紙には何が書かれていたのか。なぜ子どもを捨てたのか。すべてを公開しろとは言わないが、検証に必要な材料が示されたとは言いがたい。
幸山政史市長が「母親の手紙にはつらい思いが読み取れるものがあった」と言っても、慈恵病院が「経済的困窮が理由の人もいた」と話しても、そうですか、と答えるしかないのだ。
慈恵病院が運営をやめない以上、赤ちゃんポストは子どもの捨て場所だという原点に返って考えなければならない。親の責任だけではない。行政と病院の連携は十分なのか。受け入れ態勢や運営に問題はないのか。本当に違法性はないのか。そもそも必要なのか。疑問はいくつもある。
「親はつらかったに違いない」「17人の尊い命が救われた」と根拠のない感情に流された瞬間に思考は停止する。
こうのとりのゆりかご。幸せそうで甘美なにおいがする言葉に惑わされず、子どもの幸福を第一に考えていきたい。ニュースソースはこちらPR
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