写真見ましたが、インパクトがありますね。
この瓦礫の下でどのようにしていたかと考えると、とても悲しいですね。
四川大地震発生から、12日で1カ月になります。最近あまり報道されなくなりましたが、まだまだ多くの方が瓦礫の下敷きになっていることを思うと中国政府のいっそうの努力を期待します。
◆四川大地震:この子の姿伝えないと 意志示した「手」
1枚の写真が見る人の心を揺り動かすことがある。中国・四川大地震で、倒壊した校舎の下敷きになりながら、ペンを握りしめたまま死亡した生徒の左手。この写真が5月19日の毎日新聞朝刊1面に掲載されると、さまざまな声が寄せられた。大地震発生から12日で1カ月になる。
「確かにあまりに悲惨な写真だ」。撮影した中国新華社通信の契約カメラマン、劉忠俊さん(38)は安県の被災地で取材に応じ、自身も出稿をためらったと明らかにした。だが、心に決めたという。
「この子の姿を多くの人の記憶にとどめることに意味があるのではないか。災害の恐ろしさを伝えることで今後、校舎はより頑丈に建設されるのではないか」。大地震発生から12日で1カ月になる。
偶然の撮影だった。5月16日、綿竹市漢旺地区の東汽中学校(中高併設)の倒壊現場に赴き、レンズ越しに救助隊を追った。デジタルカメラのモニターで写真を確認すると左隅に目が行った。拡大すると、人の手だった。ペンを握っていた。
7歳の娘の父でもある劉さんは、沈痛な思いを抱きつつ5メートルほど近づき、左手のアップを撮影した。服装から男子のように思えた。
生徒はなぜペンを握っていたのか。劉さんは推測する。
「下敷きになっても生きていたのではないか。身動きが取れぬまま左手で周囲を探り、ペンをつかんだ。『自分は決して死なない』との意志を示すため強く握りしめた」と。
漢旺だけで死者は500人以上に達した。約40キロ離れた徳陽市内の体育館。敷き詰められた布団の上に、東汽中教師らが疲れ切った顔で座っていた。
劉成志教諭は手帳を取り出した。何ページも氏名が並ぶ。「北京、上海、広州。重傷者はほとんど他都市にいる。転院を繰り返し、生き残った者すら、どこにいるのか……」
がれきの下で死んだ子どもたち。身元不明のまま火葬された者もいる。東汽中に至る道は通行止めであの生徒を確かめようがない。劉カメラマンも生徒が運び出される前に別の現場へ向かった。「どんな子だったかを知る機会を逸し、残念に思っている」と語る。
取材後の別れ際、劉さんは「ある作家からメールでこんな詩を送ってもらったんだ」と携帯電話の画面を見せてくれた。写真への思いがつづられており、こう結ばれていた。
「涙の染み渡った廃虚に 悲壮なる一輪の花が咲いた すべての生ある者たちに 命の叫びを聞かせている」
☆
亡くなってもなおペンを握りしめる中学生の手の写真は、地震被害の悲惨さを伝えることができると考え掲載しました。これに対し読者から賛否の意見が多数寄せられました。
また、5月28日に開かれた「開かれた新聞」委員会で、柳田邦男委員から「ジャーナリストとして三人称の冷静な判断に、我が息子だったらという一人称、二人称の思いも加える」ことの重要性を指摘されました。
私たちは読者の声やこうした指摘に応えるため、撮影したカメラマンや犠牲者が通っていた中学校の教師の思いを追跡取材しました。
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